【映画】みなさん、さようなら【1度は見たい映画★★★★☆】
1981年、小学校で起きた事件がトラウマとなり、団地の外へは……
仕事中や勉強中、YouTube の BGM ではちょっと物足りない、
かと言って初めて見る映画ではガッツリと見てしまう。
そんな時、端蔵は何度も見て内容を知っている映画を BGM 代わりに流しています。
今回のおすすめは「初恋のきた道」です。
一度や二度見ただけでは見飽きない、初恋というタイトルがついているのに初恋の甘酸っぱい駆け引きのシーンはほとんどなく、色鮮やかに広がる風景だけが初恋の残り香を漂わせる。ゆえに何度も何度も見直して探してしまうのだろう。
序盤で、語り手である私が物語を語り出す場面は、モノクロで暗く感情のない始まりとなっている。対して、回想場面で若き日の父と母のやり取りは色鮮やかな背景に包まれている。終盤は再びモノクロになるが余韻を感じさせる終わり方となっている。
ストーリー
華北の美しい村に、ある日都会から若い教師がやってくる。そんな彼に恋心を抱いた18歳の少女。彼女は言葉に出来ない想いを料理を作ることで伝えようとする。そんな想いが彼に届くが、時代の波が押し寄せ2人は離れ離れに。少女は町へと続く一本道で、来る日も来る日も愛する彼を待ちつづけるのだが・・・。
キャスト
章子怡(チャン・ツィイー)/若き日の母
鄭昊(チョン・ハオ)/若き日の父
孫紅雷(スン・ホンレイ)/「私」,父母の子であり語り手
趙玉蓮(チャオ・ユエリン)/老年の母
スタッフ
監督:張芸謀(チャン・イーモウ)
町に住む「私」は、突然の父の訃報に、故郷の農村に帰ってきた。
実家に戻ると村長たちが訪れ、父の最期を教えてくれた。
村の小学校で教師をしていた父は、校舎建て替えの寄付集めに街を訪れた帰路で吹雪に襲われ、それがもとで持病の心臓病が悪化し倒れてしまったと。
村長たちは、父を運ぶためにトラクターを使いたかったが、母はどうしても担いで帰って来たいと言い張り聞かない、そこで息子である私に母を説得してくれないかと相談に来たのだった。
村長たちから相談を受けた私は母を説得するが、母は頑として受け入れることは無かった。
村の習わしに、担いで帰る道すがら亡骸に道順を語れば、家路を忘れることは無いとされていたからだ。
途方に暮れた私は、父と母が結婚した年に撮った写真を見つめ、父と母の物語を回想した。
母は18そして父は20の時、村の小学校の教員募集を見て町から父がやってきた。
村の男達は総出で小学校を建て始め、女たちはその食事を建築中の小学校まで運んだ。父に心を奪われた母も、手を替え品を替え、心を込めて作った料理をそこへ運んだ。父の所に行く時の母は、いつも赤い上着に着替え、どうにか父の視界に入ろうとした。また、そんな母を父も目で追うようになっていた。
ある時は、家の遠い子供を父が送り届けていると聞いて、道の途中で待ち伏せすることもあった。
村には二つの井戸があり、家からは遠いが小学校のそばの井戸まで水を汲みに行くようにもな った。
父は村役場に住み、食事は各家庭が順番受け持ち、やがて母の家の番になった。
戸口で父を迎える赤い服を着てはにかむ母に見とれる父であった。
町から父の家の使いが来て、父は家に戻ることとなり、去り際に赤い髪飾りを母に手渡して、旧暦の12月8日までには帰ってくると言い残した。
父のいない間、寒風吹き荒ぶ中で小学校の破れた障子を直す母の姿があった。
父が帰ると言った日、母は朝早くから道に出て父を待った。
しかし、日が落ちても父が戻ることは無く、意を決した母は、ずっと外にいて風邪を引いていたにも拘わらず、町に父を探しに行こうとした。しかし、母は途中で倒れ、家に運び込まれてから二日間眠り続けた。目が覚めると小学校から子供たちの音読の声が聞こえてきた。母のことを人づてに聞いた父が、家を抜け出し母に会いに来たのだった。
日暮れ前に父は連れ戻され、この件で2年近く二人は会うことができなかった。
父と母が出会った村と町を結ぶこの道を、母は最後に父とともに帰っていきたいのだと分かり、「私」は村長に相談することとした。
村には担ぎ手がいないので人を雇うことにし、手配を村長にお願いした。
葬儀の日は吹雪の中、100人もの担ぎ手が集まり、その列の後ろには何台もの車が続いた。皆父の教え子だと言うが、どこの誰か名前さえもわからなかった。夕暮れの村と町をつなぐ道には、列をなす人と車の明かりがゆっくりと移動していた。
学校が良く見える様にと、学校のそばの表井戸に父の墓が作られ、役所の許可もおり、父の念願だった新校舎の建設も決まった。
私は村を去る日の朝、村長に頼み込み、かつて父が立っていた小学校の教壇で1時間だけ授業をした。
この作品がいまいちと言う人のレビューに多かったのが、初恋が実った後の二人の描写が全く無く、結婚式の場面も出てこない、あまりにも味気ない初恋というタイトルを冠した映画だったという意見です。
対して高評価をしている人たちは、父と母が結ばれて生まれた子供の私が物語を語っていることより、初恋は実るということが分かっているので、二人がゴールするまでのやり取りや、中国の美しく広がる風景の中で古い時代を生きる人たちを身近に感じることが出来たと言っています。
双方の感想とも全くその通りですが、私は何度もこの映画を見てしまうほど気に入りました。
二人の接する場面が少なく物足りないのでもう一度見直し、それでも初恋の感覚を見て取れる場面が少なく、物足りないのでまた見直してしまう。更に、広大な山村の色鮮やかに広がる風景に、何度も魅了され、飽きること無く繰り返して見てしまいました。
父の訃報に急ぎ生まれ故郷へ帰る「私」。
映画の冒頭はモノクロで、とても寒そうな感じのする農村へ私は向かっていきます。
石造りの学校は障子が破れ扉の板が欠け、父を亡くした母が力なく腰を下ろしている。
父と母が結婚した時に撮った写真を手にとって、二人の若き日の回想となってゆく。
父を乗せた馬車が村に行ってきた。
父と母の回想シーンではカラーとなり、中国の美しく広がる農村の風景が目に飛び込んできます。
新しい先生として村に到着した父は、夕暮れの草原で村人たちから歓迎を受ける。
村に到着した父に心奪われる母。
若き日のチャン・ツィイーが とても初々しく見えます。
父も母と目を合わせ、何か感じるところがあった様子。
この時から二人は互いに惹かれるようになっていったのでしょう。
父や男達は小学校を建て始め、女たちは草原のテーブルに持ち寄った食事を置いて行った。母はどうにかして父に食べてもらおうと、父の取りそうな場所に青い食器を置いた。
学校が終わると、父は家の遠い子供を送って行った。
山菜狩りにかこつけて父を待ち伏せすることを思いついた母は子供たちの一団がやってくるのを待っていた。
食事のもてなしが母の家の番になった。
はにかむ様に笑顔で戸口に立つ母の姿は、一幅の絵のようであったと父は語った。
とても大切なこの場面、 OK が出るまでいったい何回撮り直したのでしょうか。
父の大好物のキノコ餃子を、街に連れ戻される前に食べてもらおうと、馬車を追いかけた母だったが、転んで椀を壊してしまった。母の母は、せめてもの思い出にと、青い絵柄の椀を修理屋に預けた。
無性にこの場面で見入ってしまうのです。瀬戸物の修理屋という仕事があった様で、壊れた椀が丁寧に直されて行くのでした。
父が戻ってくると約束した日になり、母は早朝から道に出て父の帰りを待った。雪が降りしきる中、いつまで待っても父が帰ってくることはなく、寒さの中ずっと立っていた母は熱を出し、それでも町に父を捜しに向かい、途中で倒れてしまった。
では、また~